2014年7月24日木曜日

「デューン」の名を冠したカルトなフレンチ・チェンバー・ロック・バンドの唯一作 ― DÜN『Eros』(1981)

エロス(紙ジャケット仕様)エロス(紙ジャケット仕様)
(2012/07/25)
デューン

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'70年代末から'80年代初頭にかけて活動したフランスのチェンバー・ロック・バンド DÜN (デューン)。アルバムは'81年に発表された『Eros』1枚のみですが、同作はRock In Opposition(R.I.O)の流れも汲んだ緊密な楽曲と演奏を繰り広げるZEUHL/チェンバー・ロックの傑作であり、オリジナル・リリースから約20年後の'00年にリイシューされたことでカルト的に注目が集まりました。バンドの母体となったのは、音楽学校の生徒を中心として'76年に結成されたVEGETALINE BOUFIOLなる五人組バンドであり、後に中核メンバーとなるLaurent Bertaud(ds)とPascal Vandenbulke(fl)の二人の名前があります。その後、しばらく活動を経てKAN-DAARと改名。このバンドはMAHAVISHNU ORCHESTRAやMAGMA、フランク・ザッパ影響下のジャズ・ロックを演奏していたそうですが、Laurentが大いに影響を受けていたHENRY COWのエッセンスが徐々にバンドにもたらされていくことになります。その過程で劇的なメンバーチェンジがあり、Jean Geeraerts(g)、Bruno Sabathe(kbd)、Alain Termol(perc)、Thierry Tranchant(b)、Philippe Portejoie(sax)の五名を加えた総勢七人の編成となります。それに伴い、バンド名も再度改名。フランク・ハーバートのSF小説「デューン/砂の惑星」を由来とするDÜNが晴れて誕生します。'78年から'81年頃にかけて、国内の様々な場所で40回ほどライヴを行ったそうで、その頃に、影響元のひとつであるMAGMAの前座を務めたこともあったとか。ちなみに、Pascal氏はライヴでは"gruyèrophone"という、スイスチーズのような形状をした? オリジナル管楽器を使用していたそうです。



Philippe Portejoieはほどなくして脱退してしまうものの、自主レーベルより1000枚のプレスで'81年の夏頃にリリースされたこの『Eros』は、7~10分ほどの楽曲を4曲収録した作品。そのうちの2曲は"Arrakis"(惑星アラキス)"L'epice"(香料メランジ)と、「デューン」に登場する事物にちなんだタイトルになっています。楽曲自体はKAN-DAAR時代に書かれたものであり、後の再発盤では'78年に録音されたプロトタイプ・ヴァージョンも聴くことができます(この音源ではPhilippeのサックス・プレイも聴けます)。フルートやマリンバも前面に押し出し、カンタベリー・シーンからの影響も伺わせる端整なジャズ・ロックから、おっかなびっくりで強迫的なチェンバー・ロックを行き来するDÜNのサウンドは、軽快ながらピリっとした緊張感が全体を覆っており、一瞬たりとも気の抜けないもの。とりわけ"L'Epice"の終盤や、"Arrakis"の中盤で聴くことができる、執拗な反復も交えての、堰が切れたかのような凶暴な豹変ぶりにはゾクゾクさせられます。ピアノやベースが反復フレーズを繰り出しながら加速度を増してゆくというのはまさにMAGMAのそれです。"Bitonio"は、全体を引っ張るヘヴィなベースと、ユーモラスな表情を見せるマリンバのプレイを中心とした1曲。ラストの"Eros"は10分を超えるアルバム最長の1曲。"L'epice"のリプライズも交えながら、ダイナミックなバンドアンサンブルで大団円を迎えます。決して大作志向ではありませんが、神がかった瞬間が何度も訪れる、そんな印象がいたします。



アルバムのエンジニアは、UNIVERS ZEROやART ZOYD、フレッド・フリス等も手がけたEtienne Conod。レコーディングはスイスにある彼のSunrise Studioで行われています(ちなみに、このスタジオはUNIVERS ZEROの名盤『Heresie』『Ceux Du Dehors』が生まれた場所でもあります)。2010年に、PRESENTのUdi KoomranがEtienne Conodへインタビューを行った記事がこちら。興味深い内容です。

「Etienne Conod Interview」
http://udi-koomran.blogspot.jp/2010/01/etenne-conod-interview.html

'82年にパーカッション担当のAlainとベース担当のThierryが脱退し、より即興ジャズ色を強めた音楽性にシフトしたそうですが、数回のライヴを行ったのみで、'83年に解散してしまいます。メンバーのほとんどはその後も何らかの音楽活動を続けており、Bruno Sabathe氏は、40年以上に渡って活動するブルターニュの重鎮フォーク・ロック・バンドであるTRI YANNの80年代中ごろのライヴ・アルバム『Anniverscène』でクレジットが確認できました。Jean Geeraerts氏は、現在は自身のジャズ・トリオや、ラテン・ミュージックのグループなどで活動されているようです。Pascal Vandenbulke氏は、80年代のMAGMAにギタリストで参加していたJean-Luc Chevalierが'85年にリリースしたソロアルバムにクレジットされております。現在はジャズ方面で活動中だそうで、幾度となく来日もしているピアニスト Didier Squiban率いるトリオのメンバーとしてフルートをプレイされています。Laurent Bertaud氏の動向ははっきりとわかりませんが、フランスで製作されたCGアニメ版「ガーフィールド」の劇伴を手がけたコンポーザーが彼と同姓同名であり、同一人物なのかが気にかかるところです(現在、50代半ばだそうなので、本人という可能性も否定できません)。また、DÜNのアルバム・エンジニアであったGilles Moinard氏は、この後ETRON FOU LELOUBRANのエンジニアとして、バンドが解散するまで携わることとなります。

Pascal Vandenbulke氏が参加しているDidier Squiban Trioのライヴ映像。


DÜN Biography (Soleil Zeuhl)
DÜN - Prog Archives
DÜN - discogs
デューン(小説) - Wikipedia

さて、「デューン」といえば、ディノ・デ・ラウレンティス/デヴィッド・リンチによる映像化のさらに前に、製作が頓挫してしまったアレハンドロ・ホドロフスキー版「デューン」がありますが、これがもし完成していたとしたら、劇伴をPINK FLOYDやMAGMAが手がける予定だったそうなので、そういう意味でも惜しまれますね。ドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』は、先月から日本でも公開されていますが、公開が終了する前に一度は観に行きたいものです。

映画『ホドロフスキーのDUNE』公式サイト
http://www.uplink.co.jp/dune/